謎解きメールセミナーのサンプル<1>


謎解きメールセミナー<1日目> サンプル


(※)このような文章で始まります。

2-01昔話やおとぎ話には人生の教訓が描かれている、ということをよく耳にします。悪い行いには悪い結果が返ってきて、良い行いは良い結果を招き寄せる、といった教訓です。

しかし、世の中は「良い、悪い」だけで判断できる事ばかりじゃありません。正しいと思って行動したのに、悪い結果に結びついてしまうことがあります。

「どうしてこんな問題にぶつかってしまうんだろう?」

そういうことがしょっちゅう起こるのが経営の世界ですね。

そういう時、たいていの人はこう考えます。

「ま、成るようにしか成らない。とにかく前向きに頑張ろう!」

「ももたろうの謎解き経営学」の主人公ももたろうも、そういう人です。

最初、ももたろうの前にはトラ、ヒヒ、タカという頼もしい味方が現れました。先祖伝来の巻き物に書いてあった予言通りに目の前に現われた強そうな味方です。この三匹がお供についてくれていれば、どんな苦難だって乗り越えられる、きっと宝が手に入る、と思っていたのです。

しかし、彼は大きなミスをしました。

ももたろうが宝探しに出掛けようとしたこと。それは仕方ありません。若者は野心を抱くものですからね。世の経営者のほとんどが、「立派な日本一の会社を作って有名になって大金持ちになるんだ!」という野心を持っているはずです。「世のため人のため」という社会奉仕の精神もあると思いますが、その見返りとして個人の栄達を望む。それは、古今東西変わらない普遍的な人間の性、いや宿業(カルマ)ではないでしょうか。それを誰が非難できるでしょうか。

ただ、それだけではダメなんだということを、ここでは、ももたろうに言いたいのです。

少なくとも、経営をしていく上で、野心や奉仕の精神だけではダメなんだ、それだけでずっと成長しつづけられるほど、会社経営というものは単純ではないということを知ってほしいのです。もちろん、経営は、経営者の心の問題が投影されるものですから、倫理や道徳といった心のテーマを抜きにしては語れません。しかし、心の問題だからそれぞれ個人が勝手気ままに考えればいい、他人に指図されることではない、という間違った考えかたを招くおそれもありますね。(それが、現代の教育の弊害とも言えますが・・・)

それでは学びがありませんね。学びがないところには発展がありません。発展がないものは消えていくしかない運命です。経営というものは、つねに発展して人間社会を豊かにしていかなければなりませんから、学んで成長していくことがとても重要なんです。

経営は、心の問題であると同時に、「いつでも誰でも再現可能な復元と改善のメカニズム」でなくてはなりません。

「経営は心の問題だから、経営者それぞれが勝手に悩み勝手に解決していくしかない。従って、心の問題をしっかり解決したものだけが経営で成功するのだ」

と言われてしまうと、「経営者は聖人でないといけない」と言われているようで、それ以上取りつく島がありません。

立派な会社を経営している社長でも人間的にはまだまだ未熟で、欠落した部分がたくさんあります。経営者は、完成していない人間性のままであっても、会社を成長させていかなくてはなりません。ですから、経営者の心の問題は重要な要素ではありますが、必ずしもそれが完璧でないといけない、ということはありませんね。重要なのは、「会社が成長していくために必要なのはどんな仕組みなのか」ということです。業績が悪くなった時に、どのようにすれば業績が回復し、どのようにすれば利益が改善するのか、ということです。ですから、経営は「いつでもどこでも再現可能な復元と改善のメカニズム」であるべきなのです。

ももたろうが行った経営、「いつでも誰でも再現可能な復元と改善のメカニズム」であったのかどうか。それを、これから一緒に見て行きましょう。

ももたろうは、先祖伝来の巻き物を最初どのように読み違えたのか?

H1-01

ももたろうは無鉄砲な性格です。あまり深く物事を考えません。成るようになる。まっすぐに生きていれば必ず成功する。そういう根拠のない自信を持って生きています。明るい性格です。身体も大きく力も強い。イケメンでもあります。近所の娘からもモテます。マムシが出たと聞いたら「よし、おれが何とかしてやる!」といって駆けだしていきます。桃から生まれたというエピソードが彼をそういう風に育てたのかも知れません。村の人たちは、「ほう、あいつが桃から生まれたももたろうか」と期待しますし、ももたろうのほうもその視線を意識します。必要以上に自分を強く見せなければならないというプレッシャーが幼い頃からあったでしょうね。そんな生い立ちが、ももたろうを無鉄砲な性格に育てていきました。

それは、それでいいのです。彼の性格は問題ではないのです。

問題は、ももたろうが「経営とはどういうものか知らなかった」ということです。

もちろん、人知では計り知れない、奇蹟的な出来事が起こることはあります。それは否定しません。しかし、経営者や責任ある立場の人なら、「人知では計り知れないことが悪い方向に起こる」ことを常に頭の片隅に置いて、仕事すべきでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがありますが、多くの人は「天命を待つ」方に主眼を置いているようです。「人事を尽くして」いないのに、天命が降りてくるわけがありません。経営は、人事を尽くす仕事です。考えられる限りのあらゆる場合を想定して、計画を立て、その結果を見て、問題点に気づき、行動に修正を加えながら、また結果を出していかなければならない。それでも、思い通りに行かない事の方が多い。だからこそ、最悪の場合を想定しなければならない。それが責任ある者の立場であり、考え方ですね。

しかし、ももたろうは、そうではありませんでした。

おじいさんやおばあさんの心配をよそに、金銀財宝を見つけて日本一の大金持ちになることばかり夢見ていました。

宝探しとは、飲食店経営者の誰もが夢みる世界のことです。

「大きな売上規模、従業員規模、店舗数を達成するのだ!」という夢のことです。

ももたろうには、育ててくれたおじいさんおばあさんに恩返しがしたい、楽をさせてあげたいという優しい気持ちもあります。しかし、冒険に出るという興奮と昂揚感で、頭も胸もいっぱいなんです。手渡された巻き物に書いてある予言の本質にはまるで気づいていないのです。いまから漕ぎ出す「経営」という名の海に何を持って行くべきか。舟が転覆しないようにするには、出港前に何をしなくてはいけないのか、漕いでいる最中は何をすべきか、どんな漕ぎ方をすべきか、風をどう読むのか。転覆しそうになった時、どうすれば船は復元するのか。そういったことを、ももたろうは軽視しました。

その結果、巻き物の予言を読み違えたのです。

ももたろうが手渡された巻き物は、経営者であれば、いや、責任ある立場の者であれば、誰もが持っているもの。それは、「経営哲学」です。

「経営哲学」とは、「企業が経営される場合において経営者自らが示している、それをどのような目的でどのような形式で行っていくかという独自の概念」のことです。何か分かるようで分からないですね。でも、とても大事なものということは理解できます。

ももたろうも、そんな感覚でした。しかし、「何となく分かるようで分からない」程度に、理解をとどめてしまったことが、彼の失敗の原因でした。何事も最初が肝腎なのです。

例えば、小学生の時、九九を習いますね。その時は、嫌でした。七の段あたりから急に難しくなってくるものだから、投げ出したくなることもありました。あの時、もし、「九九を覚えるのはもうイヤだ。将来、僕は野球選手になるから九九ができなくてもいいんだ!」と駄々をこねて、周りの大人がそれを許してしまっていたら、と想像してみて下さい。

ぞっとしませんか?

経営哲学もそれほど基本的なものなんです。それが大事だと分からないうちは、いつまで経っても大事だと分からない。でも、経営哲学こそが、経営の成功・失敗の明暗を分けるものなんです。後になって気づくんです。それがいかに大事かってことに。

それほど、経営哲学は大切なんです。


続きは本編で